月別アーカイブ: 2013年9月

自然な成り立ち

 

お世話になっている服部信康建築設計事務所の設計した住宅の引き渡しがあり、

見学させていただけるということで お邪魔してきました.

 

自分で設計するようになって強く思うのは、

いかに無理なく素直に自然なあり方を求めていくかということが

建築行為というともすれば暴力的な活動を 人間や環境に寄り添うものにできる方法なんだろうということだ.

 

なので、つくった案をいろんな角度から、いろんな立場の人の気持ちを想像して、いろんな時間に、いろんな気持ちのときに 見るようにして、

考え方に偏りがないか、佇まいに違和感がないか、バランスがいいか、自然な流れがそこにあるか

といったことを何度も確認しています.

 

今回の住まいはその意味で、敷地の特性をつかんで以前からそこにあったような建ち方をしていました.

 

勉強させていただきました.

 

 

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『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』槇文彦

 

建築関係者に限らず、この論考に共感する人は多いんじゃないかと思う.

http://www.jia.or.jp/service/newsletter_jia/detail.html?id=34

 

たしかに、2050年には総人口が1億人を下回ると言われている縮小社会日本にあって、

8万人収容の全天候型超巨大スタジアムを数千億円かけて建設しなければならないとは どうしても思えない.

コンペの当選案が街並みからスケールアウトしているのは、絵を見て明らかである.

 

何となくの高揚感によって世間のチェックが緩慢であるのをいいことに、場当たり的な国威発揚を行なうこと、それを無批判に受け入れてしまうこと、

これよって社会の流れは大きく舵を切られるんだろうし

僕自身にもいろんな形で影響があるんだろう.

 

台風の中 大阪へ

 

新しい案のプレゼンテーションをしてきました.

 

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プランニングをしながら自分が設計者として考えてきたことと

住まい手の想いとがぶつかり合うこの機会は、

とてもスリリングな時間になります.

 

こちらがイメージしていたものと住まい手の想像が違うことも多々ありますが、

その擦りあわせを経て 案がぐっとよくなることや

住まい手の一言が思わぬアイデアにつながることもあります.

 

命運をにぎるのは自分自身ではなくて、

周りを活かす環境をどうつくるかだということを 改めて感じます.

 

 

 

恥の感覚

 

独立して以来、仕事を通じていろんな人との関わりを持たせていただいています.

 

組織に属していた頃よりも、「対個人」として振る舞いやコミュニケーションに責任をもつ必要があるので、なるべく透明性の高いやり取りを心がけています.

特に仕事を請け負ったり依頼する場合には、その方法・精度・納期・金額・役割の範囲・起こりうるトラブルの責任を誰がとるのか…と言った事項をできる限り細かい部分まで明らかにして、言った言わないにならないように文書化しておくのがベストだと思います.

とはいえなかなかそこまで徹底できない場合は、各自の良識に頼って仕事をすすめることになるけれど、様々な人がいるので お互いの良識はおろか、常識までかなりのズレがあってクリエイティブな仕事ができにくいこともあります.

 

何となく思っていることは、

「価値観が近い」ことよりも「恥の感覚が近い」ことの方が、仕事をする人同士が共有するものとして大切な要素なんじゃないかということだ.

「恥の感覚」というのは、「こういうことをしたら(言ったら)恥ずかしい」というような最低限のラインに対する感覚のことで、マナーやモラルに深く関わるものです.

 

建築設計というものづくりの現場では、「建築デザインのスタイル」とか「空間のテイスト」とかそういう感性の部分における共有感が最も大事だと考えがちだけれど、

好み・趣味みたいな表層的な価値観はみんなバラバラで いろんなアイデアが生まれる、それでいて「こういうことは格好悪いからすべきじゃないよね」という共通認識があることの方が、

はるかにいい仕事ができるんだろうと僕は思っています.

感覚と感情

竹原義二先生 大阪市立大学退官記念の会へ出席するために、大阪 綿業会館へ.

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竹原先生がこれまで設計してきた住宅を思い起こしてみて、

改めて「感情的ではなく感覚的」にものづくりを継続してきたことの凄さを感じました.

 

独立して 自分1人でゼロから設計を始める状況になると、

「感情的にならずに、感覚的であり続けること」がいかに困難かということを思い知らされるように思います.

特に独立したてで仕事があまりない時期には、ひとつひとつの案件に想いが入りすぎて

感覚的にやってるつもりが 極めて私的な感情が見え隠れするようなものが出来上がることがあります.

 

それはともすれば 見る人に不快感を与えると思うから、セルフコントロールが大切だと思っています.

 

 

対談の中で竹原先生が

「昔と比べて今は、建築を純粋につくるということが格段に難しくなった」という主旨のことをおっしゃっていましたが、

もし先生が今独立したての若者だったとしたら、何を感じて 何を想い、どんな戦略を立てて この社会を建築で生きていくんだろうなあと

妄想を馳せてみていました.