恥の感覚

 

独立して以来、仕事を通じていろんな人との関わりを持たせていただいています.

 

組織に属していた頃よりも、「対個人」として振る舞いやコミュニケーションに責任をもつ必要があるので、なるべく透明性の高いやり取りを心がけています.

特に仕事を請け負ったり依頼する場合には、その方法・精度・納期・金額・役割の範囲・起こりうるトラブルの責任を誰がとるのか…と言った事項をできる限り細かい部分まで明らかにして、言った言わないにならないように文書化しておくのがベストだと思います.

とはいえなかなかそこまで徹底できない場合は、各自の良識に頼って仕事をすすめることになるけれど、様々な人がいるので お互いの良識はおろか、常識までかなりのズレがあってクリエイティブな仕事ができにくいこともあります.

 

何となく思っていることは、

「価値観が近い」ことよりも「恥の感覚が近い」ことの方が、仕事をする人同士が共有するものとして大切な要素なんじゃないかということだ.

「恥の感覚」というのは、「こういうことをしたら(言ったら)恥ずかしい」というような最低限のラインに対する感覚のことで、マナーやモラルに深く関わるものです.

 

建築設計というものづくりの現場では、「建築デザインのスタイル」とか「空間のテイスト」とかそういう感性の部分における共有感が最も大事だと考えがちだけれど、

好み・趣味みたいな表層的な価値観はみんなバラバラで いろんなアイデアが生まれる、それでいて「こういうことは格好悪いからすべきじゃないよね」という共通認識があることの方が、

はるかにいい仕事ができるんだろうと僕は思っています.