月別アーカイブ: 2016年4月

建築めぐりの心構え

小雨の降る中、建築見学のために静岡県の清水へ.

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海からの運河が入り込んだ街に独特の雰囲気を感じました.

JRの駅舎や駅前広場が近代的なデザインで整備されているのに対して、

昔からある銀座商店街は平日の日中にもかかわらず開いている店もまばらで

少し寂しい雰囲気がありましたが、人の匂いが色濃く残る風情は魅力的に映りました.

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建築を見に行くとき、出来る限り一人で 公共交通機関を使って行くようにしています.

見るものへ心を整理することと、見たものを咀嚼することに時間をかけたい.

またその建築がどんな街や風景を前提にして考えられているか、その背景を知らなければ 対象を作品としてしか切り取れない危険があると思うからです.

名古屋から清水まで電車でゆっくり向かうと、 車窓の景色だけでなく乗客の雰囲気や会話も次第に変わっていきます.

そういうグラデーションを身体で感じてから建築を訪れるということを大切にしています.

今日はいいものを見せて頂きました.

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足場からの眺め

綺麗に屋根を葺いていただきました.

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この足場からの眺めは、建物が完成して足場を解体すると

おそらく一生誰も目にすることができません.

そういうものを丁寧に美しくつくることができる人は、

恥ずかしくない仕事として自分の中に確たる基準を持っているんだと思う.

それが見えようが見えまいが、

ブレずにあるクオリティをそなえたいいものになっている.

この力が、総合的な建築の力に一役買っている

4.14 4.16を受けて

今回の地震について

考えたことを何度かブログに綴ってみたけれど、うまくまとまらない.
大きな災害に対して投げかける適切な言葉や文章が分からずにいた.

TVもネットも地震に関するおびただしい数の発言で溢れていて、それらは稚拙なものから周到なものまで様々だけれど、各々の立場や想いに絡んで複雑な感情を生むため扱いが難しい.
問題になった発言が多々あったし、あまり何かを主張すべきでないと思っていた.

同じ思いによるのか分からないけれど、
建築家のブログの中で今回の地震について正面から述べているものが
見た限りとても少ない印象を持った.
日常を綴る媒体の中で、何も無かったかのように時が流れている.

だけど、これだけの建物の損壊を見て 建物をつくる人間が何も思わないはずはないし、
思うことを述べる責任もあると思うようになってきた.

僕は建築設計者、特に住宅のつくり手として
「命を守る建物をつくる」ということに最善を尽くすべきだと思う.

ただ災害が想定外のものであった場合に、たとえ人類の叡智が集積された建物であっても
脆さを大いにはらんでいるということも事実である.
人命は守っても建物のダメージは防げないかもしれない.

リスク管理をどのレベルで設定するかによるけれど万全は無い.
人間はどこかで災害を受け入れなければならないという思いがある.

耐震基準を厳しくしたり、何百年に一度あるかないかの災害のために投資をすることに過剰になるよりも、
捨てるものと捨てないものをきちんと分けて、守ると決めたものを徹底的に守りきる姿勢が 明日への望みをつなぐかもしれない.

建築に対してそういう希望の持ち方をしたいし、 持てるような建築をつくらなければならない.