月別アーカイブ: 2016年6月

内覧会のお知らせ

一宮の家Ⅱ 内覧会のお知らせ

日時  7/2(Sat)  13:00~16:00、 7/3(Sun) 11:00~16:00
場所  愛知県一宮市

このたび、弊社が設計監理を手がけた住宅が完成し、

クライアントのご厚意によって内覧会を開催することになりました.

 

周囲の森に対してどのように向き合って暮らすか-

3世帯・3世代の家族がどのような距離感で関わりあうか-

生活すること自体の美しさを感じられる空間とはいかなるものか-

ということを考えて計画しました.

 

今回は家づくりに興味をお持ちの一般の方を対象としています.
ご自身の住まいを考えていく上での参考にご覧いただければ幸いです.

内覧をご希望の方はtakeho@kirin-architects.comまでご連絡いただければ、
現地の地図をおりかえしお送りいたします.

 

運命

庭木を探しに岐阜県可児市の日本ライン花木センターへ.

お庭の植栽で植えるような中低木の樹木が一通り揃っています.

天然と人工の境界. 等しく自然の恵みを受けています.

出会いとは感覚的なもので、条件を列挙しても意味が無いと分かりました.

同じ樹種でもそれぞれに個性があって、違う良さを持っている.

それぞれにいい出会いがあって、それぞれの場所でそれぞれの人生が花開くといいなと思いました.

視覚と不快感

以前訪れたインド西部のアーマダバードという街に残る階段井戸.

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雨の少ないこの地域では水が神聖視されたため、水を湛えたこのような荘厳な構築物が各地につくられました.
人々は生活水を求めるだけでなく、階段で地下20mも潜った井戸の底で涼をとり、憩いの場としてきたようです.

訪れる前 写真で見ていた時にはどんなに美しい建築なんだろうと楽しみにしていた.
実際にその期待は裏切られなかったけれど、
その美しさと同時に、気温50度近い意識を失いそうな酷暑や、その暑さによって増幅された異臭、井戸のそこに積みあがったゴミに群がる無数の虫といった不快要素が僕の集中力を瓦解させたのを覚えている.

空間は視覚だけで感知するものではない.

当たり前のことだけど、日本では好きなことに対する集中力が無理やり削がれるような不快感に出会うことはまずない.
時代の変遷や物質的な劣化、状況の変化を含めて美しさを感じられるような空間の設定がどこまでできるのだろう.

 

人の気持ち

一宮の家Ⅱの木製ルーバーが出来上がりました.

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1階には拡散した柔らかい光が漂っています.

午前中の直射日光が注ぐ時間帯には上階から鋭い光が射し込みますが、
午後は写真のように上階の光の溜まりが空間の広がりをぼんやりと感じさせます.

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ルーバーの上部にはサンルームが計画されています.

 

設計者は図面で空間や納まりを表現しますが、
それが現実のものとして出来上がるには様々な実務的ハードルをクリアしていかなければなりません.

今回の計画では図面で要求していることが複雑で難しく、
職人さんを悩ませてしまったことが多くありました.

それに応えようとしていただけたことで完成度の高い空間になりつつあるのは喜ばしいけれど、
もっとシンプルなつくり方で同様の効果を生むことが可能ではなかったかという反省があります.

職人さんに気持ちを込めてつくっていただけるように状況を設定するのも
設計する者の大きな仕事のひとつです.

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世界遺産勧告の報道

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13年前にインドのチャンディガールで撮影した写真です.

写っている建物は州の裁判所で設計はル・コルビュジェ.
当時初めて体験したコルビュジェ建築でした.

このほど世界文化遺産の登録勧告を受けたコルビュジェ設計の建築群のひとつです.

 

今回勧告を受けた建築は世界7カ国17作品に及んでいて、
そのうちひとつは日本にある国立西洋美術館です.
つまり昨年の軍艦島等の産業革命遺産に続いて日本で20件目の世界遺産が誕生することがほぼ確実となっています.

建築に関わる人はこのニュースに感慨深いものがあるかもしれないけれど、
一般の関心がどこまであるのかという疑問が沸いてくる.

昨年の明治産業革命遺産の登録の際には、勧告の時点でマスコミが大きくこの話題を取り上げ、
登録地の観光客が爆発的に増えたり ちょっとしたフィーバーになった記憶がある.

それに比べると今回の勧告は扱いが小さいと感じるのは僕だけだろうか.

つくり手が外国人であることや勧告対象の一部しか日本に存在しないということが影響しているかもしれないけれど、
日本における建築の社会的認知度の低さがそうさせているとも言えるだろう.

社会に理解され求められるような振る舞いが、建築に関わる人全てに強く求められている.