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伊賀に移住して一週間

伊賀に移住して一週間.

今まで都会で暮らしてきた僕にとっては

何もかもが予定通りにいかない日々の連続でした.

 

移住先のゴミ処分や害虫駆除に格闘し、

落ち着いた住環境を年内に整えられず、

子どもは埃を吸ってアレルギー症状が出て

心も不安定になり「おうちにかえる」と泣きました.

近くの電気屋で部品が揃えられずテレビの配線がつなげない、

ゴミ置き場まで車で行く程遠い、

大手銀行のATMが市内に無い、

コンビニが徒歩圏内に無い.

 

でも、夜外に出ると真っ暗な空にたくさんの星が瞬き、

朝には霜が降りた集落の静かさを感じて、

昼には山や森を背に降るような日差しの中で洗濯物を干す.

子どもはあぜ道を嬉々として歩き回り、

妻は「今まで仮住まいだったことを思うと、ここで死んでいけるという安心感がある」と言いました.

 

予定通りにいかないことを楽しむ姿勢が

設計の仕事にも生かされていくと、

違う自分や自分の仕事に出会えるかもしれないという

淡い期待を持ちながら過ごしています.

 

謙虚な人

金城学院大学で同じ非常勤講師として教鞭をとっている
先輩建築家と食事をしました.

建築教育について、大学事情について、建築の作法について、事務所経営についてなどなど
話は多岐にわたり楽しい時間を過ごさせて頂きました.

先輩からすると、独立して間もない僕のような若輩者が生意気な口をたたくのを聞いて
説教のひとつでもしたくなるというか、アドバイスでもしたくなるのかなと思います.

けれど先輩はあくまで謙虚で、ご自身のことは気恥ずかしそうに言葉少なに語り、
20才以上離れた僕の話にゆっくりと耳を傾けて同調していただきました.

建築をやってきてよかったと思うことのひとつに、建築を語り合うときに年齢差など一瞬で消えてしまうということがあります.
あの街のあの建物がよかった、あの建築家のつくるものはこういうところがいいと話すことに互いの境界は必要ありません.

 

たまにお会いする別の先輩建築家で、とても尊敬している方が居ます.
その方もとてもつつましやかで、「謙虚」であることがこんなにも相手を心穏やかにさせるのかということを
お会いする度に感じます.

とても名の有る建築家で多くの評価を得ているにもかかわらず、
その方は別れ際に必ず「またいろいろ教えて下さい」と言います.

僕もそんな風に後輩に接することができるといいなと思います.

みんなのために建築はある

ある街の企画住宅、その名も「木角(きかく)の家」.
現場確認してきました.

良質な住宅を低価格で提供することを目指して、
様々な工夫を凝らしています.

 

玄関ホールの省略.
玄関土間から直接リビングスペースに上がります.
引込戸によって玄関とリビングを分けることもできます.

天井を貼らない踏天井で建物を低く抑えています、
梁上の合板に直接2階のフローリングが貼られているので2階の物音が直接的に聞こえますが、
1階の空間の広がりとコストを考慮して採用しています.

2階は間仕切りを住み手の使い方に応じてつくれるように
ガランドウで引き渡します.
家具で緩やかに部屋を分ける等、間取りのパターンをいくつか提案しています.

洗面の鏡収納は窓枠に付けたレールの上を滑らせています.
(木の部分には鏡が貼り付けられます)
奥には引き違い窓があるため、この鏡収納を隅に寄せるとクレセントが現れて
窓を開閉できるようになっています.

バルコニーの奥行きは1365mmで、建売住宅としては少しゆったりした広さがあります.

シンプルで住む人に合わせて変化する家、もう一息で完成です.

心のよりどころ

名古屋のカトリック南山教会の耐震補強・大規模補修説明会に出席しました.

大学進学で名古屋を離れるまで幼い頃から慣れ親しんだこの教会が、
建物の傷みを踏まえて今後のあり方を模索しています.

予算や工期等の諸制限に対して、人の愛着や価値観や想いは
築60年という時間や人の数だけ無数に存在しています.

どれが正解ということではないし、どの方向性も100%ということは求められないけれど
積極的にまた主体的に問題に関わっていく方々が、その愛着や価値観や想いを少しずつ反映させた
着地点になればと思いました.

 

 

『大事なことは、聞き逃してしまうほど平凡な言葉で語られる』

友人からのすすめで『火山のふもとで』(著:松家仁之)という本を読みました.
標題の言葉が本の帯に付されています.

吉村順三を想起させる寡黙な建築家の事務所に入所した若者の物語です.

執筆の際に意識されたのは、場面を的確にかつ広がりをもって読者に届けるための
言葉の選択、間合い、リズムだったのだろうか.
建築家がディティールを、間を、ものの流れをいつくしみ設計していくことに敬意を表するように
この本自体が丁寧につくりこまれた住宅建築であるかのような簡素さと美しさを湛えている.

大事に持っていたい文章がいくつも散りばめられた一冊でした.

変わらないこと

オリンピックが盛り上がりをみせています.

そこで、ふと思い立って14年前の夏にブラジルを旅したときの記録を見返してみました.

マラカナン

リオで買った絵葉書には改修されてオリンピック会場になる前のマラカナンスタジアムが.

僕がここを訪れる5年前に、ときのローマ法王であったヨハネ・パウロ2世がここでミサをおこなった.
その情景を想像しながらスケールの大きさに圧倒されました.

 

コルコバード

コルコバードのキリスト像.

あいにく霧で景色は何も見えなかったけれど、
立体的な都市空間の使い方に目を見張りました.

 

ただこれらの良さは、大陸ならでは壮大さとか、
デザインから受ける新鮮さ 目新しさのような
ある分かりやすさの上に有りました.

異国の人ならなおさら、誰がみてもすごいと思うし感動もする.
だから観光地としてとても人気がある.

 

それに対して、写真や日記を見返して「ここが一番しっくりきてたな」と思うのは

Paranaguá

Paranaguaという港町の古い博物館でした.

この博物館を中心に広場がつくられ、この広場を中心にこの地区がつくられている.
広場は海を向き、連続したウッドデッキによってビーチにつながっている.
ウッドデッキ沿いにはバーや食堂がいくつかあって、いつも人が出入りしている.
混雑することなく、人とのほど良い距離感と 緩くかかった音楽が成す一体感が心を穏やかにする.
砂浜で近所の子どもとサッカーをして過ごした.

ここで感じた良さは、僕の中にもともと存在していた感覚をParanaguaの都市空間に見出だしたという点で、
他とは異なっている.
自分の中に無かった感覚を得た感動よりも、自分の中に在った感覚と共振した感動が大きかった.

 

14年後の今、この博物館を建築として見ても、やっぱりとても魅力的だと思う.

この10年建築設計を生業としてから知識や技がいくらかついたかもしれないけれど
感覚的に良いと思うものはたいして変わっていないということに、
ある種の安心感と、そんな奇想天外な発想はできないという諦念を覚えました.

 

 

一宮の家Ⅱ 内覧会

先週末、一宮の家Ⅱの内覧会を無事に終えることができました.
梅雨の晴れ間で非常に暑い中、遠くは大阪や富山からもお越しいただき ありがとうございました.

残工事もあり完成形ではありませんが、現場の写真を少しご紹介-

白河石のアプローチ  植栽の脇を通って玄関に入ります.

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総2階のボリュームに平屋が取り付く外観  土の部分には今後赤茶色の砂利を敷きます.

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2方向に抜ける玄関.

玄関ドアの上のガラス部分から漏れた光が天井に広がります.

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玄関を見返す.

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玄関から直接アクセスできる多目的スペース.  天井ルーバーの上部に光が漂っているのが感じられます.

平屋に配された個室へ視線が抜けていきます.

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大工さん渾身の作である木製らせん階段.  すべり止めに真鍮を埋め込んでいます.

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階段上のトップライト.  午前中は鋭い直射日光が射し込み、午後は柔らかい間接光がにじみだします.

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2階のLDK.  多目的スペースの上部に位置するサンルームが光で満たされています.

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ここは長さ3mの丸パイプが設置され物干し場として機能すると同時に、
LDKから見たときに外の景色と住み手との距離感を心地よく調整するためのバッファゾーン(緩衝帯)の役割があります.

床の段差と垂壁によってリビングとサンルームに「間」をつくりだしています.
手前に影をつくることで落ち着きを与え、奥を光で満たすことによって奥行きを生み出しています.

内覧会を通して様々な反応や感想をいただき、今後の糧になりました.

住宅設計はとても楽しい.
楽しいがゆえに、以前ある先生からアドバイスをいただいた「快楽的にならないように」ということを改めて意識しました.

恥じらいをもって建築を表現していくことと、社会のために設計していくことを 考えていきたいと思います.

現実との距離

先日ブログに書いた階段の検討を経て、

実物が出来上がりつつあります.

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まだ仕上げ工事前で手摺も付いていませんが、

大工さんや監督さんが関わって多角的に検討・調整されたことで

現実に存在する「モノ」としてのありようが見出されたように思います.

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設計という行為は、世の中に存在しないものを存在させる行為でもあるので

世の中に既に存在しているものの中できちんと調和を保ったりなじんだりできるものをつくらなければ、

設計者の身勝手な造形行為に終始してしまう.

できるだけ違和感を減らすために、何度も検討するように心がけています.

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4.14 4.16を受けて

今回の地震について

考えたことを何度かブログに綴ってみたけれど、うまくまとまらない.
大きな災害に対して投げかける適切な言葉や文章が分からずにいた.

TVもネットも地震に関するおびただしい数の発言で溢れていて、それらは稚拙なものから周到なものまで様々だけれど、各々の立場や想いに絡んで複雑な感情を生むため扱いが難しい.
問題になった発言が多々あったし、あまり何かを主張すべきでないと思っていた.

同じ思いによるのか分からないけれど、
建築家のブログの中で今回の地震について正面から述べているものが
見た限りとても少ない印象を持った.
日常を綴る媒体の中で、何も無かったかのように時が流れている.

だけど、これだけの建物の損壊を見て 建物をつくる人間が何も思わないはずはないし、
思うことを述べる責任もあると思うようになってきた.

僕は建築設計者、特に住宅のつくり手として
「命を守る建物をつくる」ということに最善を尽くすべきだと思う.

ただ災害が想定外のものであった場合に、たとえ人類の叡智が集積された建物であっても
脆さを大いにはらんでいるということも事実である.
人命は守っても建物のダメージは防げないかもしれない.

リスク管理をどのレベルで設定するかによるけれど万全は無い.
人間はどこかで災害を受け入れなければならないという思いがある.

耐震基準を厳しくしたり、何百年に一度あるかないかの災害のために投資をすることに過剰になるよりも、
捨てるものと捨てないものをきちんと分けて、守ると決めたものを徹底的に守りきる姿勢が 明日への望みをつなぐかもしれない.

建築に対してそういう希望の持ち方をしたいし、 持てるような建築をつくらなければならない.