綺麗に屋根を葺いていただきました.
この足場からの眺めは、建物が完成して足場を解体すると
おそらく一生誰も目にすることができません.
そういうものを丁寧に美しくつくることができる人は、
恥ずかしくない仕事として自分の中に確たる基準を持っているんだと思う.
それが見えようが見えまいが、
ブレずにあるクオリティをそなえたいいものになっている.
この力が、総合的な建築の力に一役買っている
工務店の視察で岐阜の加子母(かしも)へ.
周囲の山々で育った木々が伐りだされて、ここで建材として整えられていきます.
おおらかな自然の中で、たくさんの木々が建築としての晴れ舞台を待っているようでした.
この地には古くから伊勢神宮の式年遷宮のために守られてきた「旧神宮備林」があり、
木を慈しむ心を根底に持って、人々が生きている.
人とともに木も生きている. 当たり前のことを改めて感じさせてくれる貴重な場所でした.
どんな建材を使うのかという選定も建築家の大事な仕事です.
長い歴史と雄大な自然の中で、今という時代の僕たちの営みを支える建築をどうつくるのか
というスタンスを問われたような気がしました,
実施設計がまとまってきました.
この段階になると、集中的に描いてきた図面を冷静に見直して
そこでどんな生活がなされていくのかをあれこれとイメージしてみます.
同時に起こりうる問題をいろんな行動パターンから見出して
対策を考えていきます.
安保法案の中央公聴会で、学生グループの代表者から
「(野党は)本当にできることは全てやったのでしょうか」という発言があったけれど、
できることを全てやったと言える状況というのはなかなかないだろう.
全てやったつもりでも、後で振り返ってみたらもっとこんな方法があったと思うのが、何にせよ常なんだと思う.
だけどそれでもなお、全てをやり切るという気持ちで向かうことが
何かを打破し、達成することにつながると信じるのもまた
人間の常なんだと思う.
計画のスタディを続けています.
敷地や周囲の環境、設計条件やクライアントとのお話をふまえて
その場所に最も合う住宅の形を探ります.
絵を描き続けていくとあるべき形を構成する線を見出せるときもあれば、
描きすぎて様々な条件を複合的に掴むことができなくなり
時間を置いて改めて見ると探していた線の位置が不意に見つかることもあります.
描いては考え、また描いての繰り返しです.
少しまとまってきたら模型をつくります.
これもまた作っては考えまた作り 時には図面に戻ってまた描きます.
まだ見えてこないないなあと
ふと振り返って描いてきたものや作ってきたものたちを見てみると、
最初のものは粗削りで 検討するにつれてずいぶんと洗練されてきているのが分かります.
同時に、最初のものの方が意図が明確で優れていると思うこともあります.
これらの気づきをまた計画に反映させていきます.
終わりが見えませんが、着実に変化していくことを楽しめると
思いがけない場所に辿り着ける.
知らない街を巡るような旅です.