ものを大切にする心

役所への書類提出のついでに、三重県立上野高校の明治校舎へ.

明治33年に三重県第三尋常中学校の校舎として建設され、
現在は卒業生である作家横光利一の資料館として一般公開されていると同時に
学校のシンボルとなっています.

中央の玄関ポーチと両脇に和風入母屋屋根が印象的な校舎で、
三重県の登録有形文化財に指定されているそうです.

この建物は校庭に面していて、校内で最も良い場所に建っています.
既に学校建築としての機能を失った校舎を取り壊し、校庭を広くするか新しい校舎を建てるといった計画が持ち上がることが想像できるけれど、
ここでは建物を保存するという方針が貫かれて
今もなお学生や教員、地域の人々に親しまれるものとして維持され続けています.
関係者の方々に敬意を表したいと思いました.

古くなったものを捨ててすぐに新しいものを手に入れようとする時代感覚は
少し見直されてきているように感じます.
この校舎のようなあり方に心惹かれるのもそのひとつです.

建築をつくることで、そのような「兆し」の一助になるように
心がけて仕事をすすめています.

風景の粒

家族で愛知県新城の阿寺の七滝へ.

滝までの山道を歩いている時、妻が「粒が細かくてきれいだ」と言いました.

シダ系の細かい葉の植生、小さな砂利や土の地面、樹木の肌理.

確かにどこを見ても繊細な質感を感じました.

街のアスファルトの道路や建物のマットな外壁、大味な街路樹とは大きく印象が異なっています.

そこにしか無い、しかも時間の経過とともに変化していくこの質感は、人間のコントロールが及ばない美しさを持っています.

 

最近設計をするときに大切にしているのは、風景にどう受け入れられるかということです.

どんな優れた建築も、風景からその存在を許容されることがその条件だと思います.

設計する場所が どれぐらいの大きさの粒をもった場所であるのかを理解することが、
そこに建つべきもののあり方に、素材や納まりや空間構成の選択に大きなヒントになります.

再会

Three huts house の1年点検.

大きな不具合は無く、細かい補修を工務店にお願いしました.

丁寧に住んでいただいているクライアント、しっかりつくっていただいた工務店や職人さんに、
改めて感謝の気持ちになりました.

気持ちを乗せる

以前ブログにアップした手描き図面の取り組みを少しずつすすめています.

あまり詳細な図面はクライアントにご迷惑をかけてしまうため、
空間構成のわかる立体的なダイアグラムのみを公開することにしました.

Three huts house

その他の手描き図面はコンセプトブックに載せる予定です.

線を引く作業は取り掛かるまでは億劫に感じることもありますが、
一度始めると「もっと伝わりやすく描くには」「もっと綺麗に描くには」と気持ちが乗ってきて
結構な時間を費やしてしまいます.

他の業務に支障のない程度に楽しみたいと思います.

村野藤吾の椅子で

仕事とプライベートを兼ねて関西方面へ.

まさかの携帯電話紛失で待ち合わせなどにドキドキしましたが、
何とかミッションをこなしてきました.
関係者の皆様にはいろいろとご迷惑をかけてしまい、すみませんでした..

そんな中恩師に会うために大阪で待ち合わせ.

事前に連絡して携帯電話が使えない旨を伝えると、
「上本町の都ホテル1階ロビーにある村野藤吾がデザインした椅子で」
ということになりました.

最近は待ち合わせ場所が曖昧でも現地で連絡を取り合えばいいということで、
具体的な場所を決めることが少なくなった.
でも、こんなに具体的に待ち合わせ場所を決めると安心感がある.
椅子に座って待っているイメージが具体的にできるからだろうか.
そして、必ず会えるという確信が持てるからだろうか.

少し早めに行って、座り心地を堪能しました.

デビュー

先日進捗をアップした木角の家が完成し、工務店主催でオープンハウスが開催されています.
9月いっぱい迄土日は毎週行われており、工務店のスタッフにご案内いただけるそうです.

完成写真は追ってアップしますが、この機会に設計事務所が工務店を組んでつくった標準化住宅をご覧いただければと思います.

ご興味ある方はきりんのコンタクトフォームからご連絡いただければ
詳細情報をご返信いたします.
(私が現地のご案内をすることも可能です)

すでにご購入の申し込みがあり、ブラッシュアップした2棟目の建築も進んでいます.
一般解として考えてきたことを込めており、社会への拡張性という意味で可能性を感じるプロジェクトです.

仕事がすすむとき

建築設計の検討(スタディと言います)には、膨大な時間を費やします.

あれこれと試行錯誤を繰り返し、ようやく固まってきても調整を重ね、
他によい案が出ればまたゼロからやり直し.
クライアントの要望やコストオーバー等の予期せぬ事態も絡んできます.

 

積み上げては崩してまた積み上げる 果ての無いような作業の中で、
積み上げるピースの形や状況が何となく分かってくる.

すると、「ここにこれを積むと次にこれが積める」とか
「これをあそこまで積むとこんな形になる」とか、先が読めるようになる.

感覚をつかみ始めると、短時間でいろいろなバリエーションが展開できるようになる.
さらにそれらのいい悪いの判断もすばやく出来るようになる.

何度もこの作業を繰り返す.
次第にその場所にあるべき建築の姿が見えてくる.

設計は積み上げる作業だけれども、
最終的にはそこに自然な佇まいで存在できるものを明らかにしていく感覚がある.
そう考えると、木や石の中に姿形を見い出し 彫り起こしていく彫刻家の作業に近いものがある.

 

スタディに終わりは無いですが、「これでいい」と心に落ちるまでは続けるようにしています.
もう少し続けたらもっと良いものになったかもしれないし、全然違うものでも成り立ちうるかもしれないけれど、
「これでいい」と思えたらある一つの正解に達したのではないかと思います.

経験を重ねて「これでいい」の感覚とそれに対応した建築や空間の精度を上げていきたいと思います.
そして、こんな生産性の無い仕事を理解し(ようとし)てくれる家族への感謝を心に留めていたいと思います.

やさしくデザインする

息子の誕生日に、妻がかわいい花を買ってきました.

白や薄いグリーンが基調の、華美ではないけれど品のある静かな雰囲気の花束です.

それを見て、「やさしくデザインする」ということを考えました.

 

何かをデザインする時、デザインする人間はそこに自分の個性やセンスを込めようとする.
ただそれがあまり強い主張になりすぎると、受け手に対してもあたりが強くなってしまう.

確かに芸術作品の中には受け手の価値観を覆すような強い表現があって、
それはそれで意義深いとも思う.

ただ日常に寄り添ったものをデザインする場合、強い表現は強い刺激やともすれば受け手に対する攻撃となり、日々の感覚になじまないことがあるように思う.
強い表現には「こう見て下さい」とか「こう見られたい」というつくり手の一方的な想いを感じてしまう.
(これを設計者の仲間内で「いやらしさ」と表現することがある)

デザインされたものをどのように受け取るかということは、本来受け手に与えられている自由であり
自由な受け取り方を許容するような懐の深いデザインに憧れる.

 

以前ある建築家に教えてもらった花屋で、妻と一緒に花束を買ったことがあります.
そこは花のラインナップ、店内の雰囲気、店員さんの服装等どれも「簡素なオシャレ」を徹底していて
ストイックな雰囲気を醸し出していました.

お客さんの想いを汲むのではなく、「自分たちの商品はこうです」とスタイルを固持するスタンス.
そういうスタンスにファンがついてくるのか商品の価格は総じて高め.
建築家の間でもよく名前が出る有名なお店ですが、「お高くとまっている」というのが僕らの共通した印象でした.

今回お世話になった花屋のような、こだわりと柔軟さのバランスが心地さをもたらすものづくりをするためには
どうしたら良いか 考えています.

これで良かったのか

今まで設計した建物を手描き図面でおこしています.

僕の世代は図面をCAD、いわゆるパソコンソフトで描くのが一般的ですが、
上の世代は製図板にトレーシングペーパーを貼って手描きで図面を描いていた時代があります.
今でも建築士の製図試験は手描きで実施されていますが、それ以外で若い設計者が手描きを必要とされる場面は少なくなってきています.

手描きの図面は描く人の迷いや自信などの心の持ち様が表れるということで
施工者にとっては描かれている事実以上に伝わるものがあると聞きます.

大学院時代に建築家の図面をトレースすることに始まり、卒業設計もたくさんの手描き図面を描きました.
手描き図面の何とも言えない「味」がかっこいいと思っていました(つまりコミュニケーションツールとしてではなくプレゼンスタイルとしての手描き)が、
こうして過去の仕事の軌跡を辿ることは、自分の今後のものづくりの方向性を再確認させてくれると感じました.
あの判断はどうだったのかと.

今後、描いた図面はHPにUPしていく予定です.

自分の子どもをこの建築で遊ばせたいか

昨日は非常勤講師を務めている金城学院大学の講義最終日でした.

今までいろいろな学校で設計課題の講師をやってきましたが、
今回初めて一人で講義を受け持った(設計の授業は複数人で担当する場合が多い)ため、
シラバスの提出、カリキュラムや授業構成の検討、設計課題や授業資料の作成など
講義に関わる全てのことをさせていただきました.

特に設計課題の作成は学生のやる気や作品の完成度に大きく影響するため、
講義を通して学生に何を獲得してほしいかということをよく考える必要があります.

 

大学専任の先生と相談をして今回新しいチャレンジをした点は

・建物を設計する敷地を学生自らが選定する
(一般的には決まった敷地が設定されていて、全ての学生が同じ条件のもとで設計します)

・建物の用途を学生自らが選定する
(一般的には「住宅」や「店舗」など、建物の用途が条件として提示されています)

・個人制作とグループ制作のどちらかを学生自らが選定する
(一般的には個人制作が多いです)

さらに、学生が今までの授業で課されてこなかった1/50の模型(家具や仕上材まで作り込む)や
3Dのプレゼン表現なども取り入れてもらいました.

学生が自ら判断してものごとを決めていく範囲が広いため 最初は戸惑いがあったかと思いますが、
きっかけを掴むと多くの学生が積極的に取り組むことができたように思います.

 

建築には正解がありません.
設計のプロセスや技術についても「こうやれば良い」と言い切れるものはありません.
(よく学生に「これで良いですか?」と聞かれますが)

ですので、学生からの質問に対して曖昧な回答になったり、ヒントを与えて後は自分で考えてもらうといった指導をする場合があります.
まずは、建築設計という分野が 一生かけても答えが出ないかもしれないような不確実さを持っているという事実を理解してもらうということが
建築を学ぶにあたって大切なことだと感じています.

それにしても学生たちは総じて優秀で真面目だと感じました.
粘り強くこつこつと模型や図面に向き合うことができていて、至らない講師にも関わらず成果が多く見られました.

『子どものための施設』という課題テーマに対して真剣に考えたこの経験が、
将来彼女たちが子を持つ身になったときに、自分の考えを構築する何らかのきっかけになれば嬉しいと思います.
「自分の子どもをこの建築で遊ばせたいか」というリアリティが、今回の提案とは違った想いを生むかもしれません.

 

今回の講義は3年生対象で、
今後は後期の授業を経て卒業制作、就職活動と より広い社会での自身の位置付けを模索していきます.